嫌悪2

決めつけの場面に遭遇すると、あーあって思う。決めつけられた人の本意は汲まれてないし、決めつけた本人は決めつけられた人が傷ついても痛くも痒くもないし。勝手に、このご時世決めつけする人なんていないって期待してる自分が馬鹿みたいって思うし。深く考えもせずに狭い視野の中にあるものだけ守って見えてない視点や価値観はバッサリ切るのはあまりよろしくない。これはこうっていろんな物事を決めつけるのは、歯に衣着せぬ物言いだと捉えられることも多くてかっこいいことだと思われてたりもするけど、本当は必ずしもかっこいいわけではないよ。過去の自分はまじでこれだったけど、今まで色んな価値観の人と話してみてわかったことは、決めつけを口走ると相手が自分に話さず本心の一部について話すのをやめてしまうということ。そりゃわかってないなって人に話すほどみんな馬鹿じゃないよね、みんな傷つきたくないし。

 

すぐイライラする人と、何も考えずに負の決めつけ(否定)をする人は、どちらも負の感情を表に出してるから最初は差別化できなくて困ってたけど、今は全然違うと思う。イライラする事が多い人は、大事にしてるものが多い人。大事にしてることにもよるけど、結構好感持てたりする。気をつけたほうがいいなって思うのは、イライラの感情自体が苦手な人からしたら怖い存在になるということ。でも本人がいっぱいいっぱいなだけだからしょうがない。

決めつけてくる人がなんで嫌かって言ったら、自分の嫌な部分見てるみたいで見てられないってことだと思う。結局は自己嫌悪。決めつけるってことは、世の中見えてないことばかりなのに見えてるって言ってるようなもんだと思う。本当に恥ずかしい。自分の嫌な部分全然受け入れきれないけどしょうがないでいいのかな。